2004年8月

六つ星 合同登山を終えて




  参加されたかたの感想です


「富士登山に参加して」    会員(晴眼)女性Aさん

 今回で3度目の富士山。不安はもちろんあったがまた素晴らしい光景に出合えるだろうという期待の方が大きかった。 前日の予報では雨模様が心配されたが‘晴れ女’の自分を信じて山行に望んだ。
 当日の朝は雨の気配もなく良いお天気。ザックを背負って自転車に乗って駅へ向かう。 電車を乗り継いで集合場所の東京駅へ、そして新幹線に乗り超贅沢な気分で三島駅へと到着。 三島では集合時間よりかなり早く着いたのでのんびり他のメンバーを待った。が、いつまで待っても来ない...。 携帯で連絡してみるとどうやら私達東京駅集合組は反対側の改札口で待っていたようだった。 だからバス停も寂しかったんだなあと納得。なんとか他のメンバーと合流し、予定通りのバスに乗ることが出来て一安心。
 富士山五合目へと向かうバスの中から富士山を見ると五合目あたりと頂上付近に雲が見えた。 バスで富士山を登り始めると途中開けたところから海が見えウキウキ。 しかしやはり先程見えた雲の中に入ってしまったのか、ガスで視界が遮られ何も見えなくなってしまった。
 新五合目はちょっと寒いくらい。昼食を済ませ午後1時過ぎに出発。草花を眺めながら快調なペースで登る。 絶対登りは暑いと思って凍らせてきたウーロン茶が冷たすぎて後悔した。 ガスで視界は悪かったが時々開けて海が見えると嬉しかった。3時15分ころ元祖7合目に着いた。少し休憩し、 8合目の山小屋へは約1時間で到着。気温は13度ということでさすがに寒い。 持ってきたシャツ、フリースを重ね着したがまだ寒い。セーターを持ってこなかったことにまたまた後悔した。  山小屋の夕食はカレーライス。持ち帰りのお弁当のようでちょっと寂しかったけど美味しかった。 1杯だけという温かいお茶で幸せを感じた。
 午後7時前に布団に入ったがなかなか寝つけなかった。いつの間にか寝入って、人の声で目が覚めたのは午前0時。 星でも見えるかなあと外へ出てみると圧倒されるくらいの星空。やっぱり来て良かったなあと感じた。 流れ星を見つけて満足し再び布団にもぐりこんだ。
 出発は4時だったがトイレが混んでいるかもと思い2時半ころ起きた。 とにかくお腹が空いていたのでパンやゼリーなどを口に入れ身支度を整えた。  これから山頂を目指すということで多少緊張しながら午前4時に8合目を出発。4時45分ころ9合目。 そこから9合5勺に向かう途中5時8分ころ、ご来光に出会えた。しばしその光景を楽しみ再び頂上を目指す。 素晴らしい光景に出合えてなんだか疲れが一気に吹っ飛んだ。6時過ぎにとうとう山頂へ到着。 喜びもつかの間少し休憩を取りお鉢めぐりへと出発。風がものすごく強く、何度も吹き飛ばされそう(?) になったがここでしか味わえない景観に感激していた。途中テニスをしている人たちを発見。 こんなところでテニスをしている人を見るとは思わなかったので驚きだった。
 再び富士宮口の奥宮の前にたどり着いたのは8時少し前。 下山開始の9時までまだ時間があったので山小屋でもらったお弁当などで腹ごしらえ、 そしてぬるくなってしまったお湯で作ったスープでほっと一息入れた。  午前9時下山開始。登りも快調だったが下りは更に快調だった。11時半ころには元祖7合目。 途中雷鳴が聞こえ雨に合うかもしれないとレインウェアを急いで着たが、幸運にも雨に合わずに済んだ。 そして午後1時ころには新五合目の本部に到着。無事下山した後の冷えたビールはやっぱり美味しかった...。

 冒頭にも書いたが今回で3度目の富士登頂。なんとか天気にも恵まれ3度目のご来光も拝むことが出来た。 ただ欲を言えばもう少し景色を楽しむ余裕があってもよかったのでないかと思う。富士山は日本一の山。 日本で一番空に近いところ。ここでしか味わえない光景がある。 集団で行動するのだから時間通りに登って下りるということはもちろん大切だが、 なんだか歩くのに忙しすぎて山を楽しめなかったのが残念だった。  そしてもうひとつ残念だったこと、それはご来光の撮影をしていたらカメラの電池がなくなってしまったことである。 フィルムの準備は完璧だったのになあ...。

 ところで、実は今回の富士登山は当初行かないつもりだった。 子供を置いて泊まりで出かけたことがなかったので無理だろうなあと思っていたからである。 サポートが足りないという連絡を受けて主人と相談したところ結局参加することとなった次第。 この2日間は子供と二人でかなり大変だったようで主人には改めて感謝感謝。


「六つ星富士山−−やっぱり富士は7合目」  会員(視障)男性Bさん

富士山には今回を含めて5回、富士宮口から登頂している。そのうちの4回は「元祖7合目」に泊まっている。 その元祖7合目=元7について書いてみる。
 この元7の小屋は標高3010mにあり、5合目〜山頂の距離的にちょうど半分、標高差では少し5合目寄りにある。 その上の8合目は、山頂で御来光を見たり、2日目の行程が楽なので8合目の方が宿泊客は多い。しかし自分は「元7派」だ。  初めての富士山は2000年の「ガン克服日米合同富士登山」で、400人の大パーティーは、7合目と8合目に分かれて泊まった。 自分は7合目で、小屋に着いたのは17時頃、すぐに夕食になった。夕食の定番は「カレー」と知っていた。 勿論ここでもカレーだ。あまり空腹ではなかったが、食べることが好きな自分は、ライスにカレーをかけて……、 先ず一口食べた。美味かった。山小屋のカレーとは思えなかった。美味しいカレーは、あっという間にカラになってしまった。 疲れていたわけでも、気持ちのいい小屋の外で食べたからでもない。本当になぜか美味しかった。   翌日、初登頂して下山後に、8合目に泊まった人がカレーや布団に関してしゃべっているのを聞いた。 「やっぱり7合目で良かった」と思った。
 そして2001年。美味しいカレーとの再会をしに元7に泊まり、この年の目的「お母さんを頂上に連れて行く」事と、 2度目の登頂に成功した。
 さらに2002年は、富士山3連覇。予想外の好ペースで登り始めて2時間後には、元7に到着。 そして夕食。3度目の7合目のカレーだ。カレーのトレーとスプーン、水のコップが目の前に置かれた。 スプーンが、プラスチックから金属製に変わっていた。1口食べた。「あっ、味が変わった!!」  以前のよりドロッとしていて、葱と肉が増えていた。これはこれで美味しいが、比較をするならば、前の方が好きだった。 その時以降、寝る前も、登っている時も下り始めても、味が変わった事がずっと気になっていた。 そこで思い切って、下山時に小屋の山口さんにカレーが変わったかを聞いてみた。 すると「実はそうなんだ。去年までのカレーが造られなくなったので、変えたんだ。君が初めて気付いた」 という思ったとおりの答えだった。 やっぱり、1口目の勘が当たっていた。山口さんが言うには、他にも3年連続で泊まった人がいるが、その人も分からなかったそうだ。
 今年の7月初め、今回の下見では8合目に試しに泊まってみた。それから1ヵ月半後の六つ星富士山では、元7に泊まり、 またカレーが変わっている事に気付いた。今度は、2002年のよりサラッとしていて、どちらかと言うと、 それ以前のに近い味にもどって、少し辛めになっていた。やっぱり8合目より美味しいカレー、これが7合目の良さだ、 これからも元7のファンでいよう、と改めて思った。
 最後に1つ付け加えておくと、ここのご飯が、カレー以上に美味しいのだ。だから来年も、 元7の「カレーライス」を食べに、おじさんに会いに行かなければ。


「富士登山」     会友(晴眼)男性Cさん

 富士山は、一度は登ってみたいと思う山です。八方に裾野を広げている山ですが、六号目以上は植生もまばらで、 砂礫の山です。その美しさから、世界遺産条約に登録されると良いと思います。
 全国に鎮座する浅間大社の総本山である浅間本社は富士宮にあり、富士山を御神体として拝しています。 また、富士宮口は現在4箇所ある登山口では最も古いもので、平安の昔より発展して来ました。
 今回は「六つ星山の会」の富士登山にサポーターとして参加させて貰いました。
集合場所JR三島駅よりバス2台に分乗して、富士宮口新五合目に2時間余で到着。 新五合目は標高2,400mで高山帯に入るため、軽い頭痛や頭が重いといった症状が出る事があるので、 レストハウスや休憩所でゆっくり時間を取り高山に順応してから登山を開始しました。
 班編成は1班〜10班とし、1〜6班は八合目小屋(3,220m)、7〜10班は元祖七合目小屋(3,010m)に宿泊です。 班ごとに視障者とサポーターが顔合わせをして出発。
 登山開始です。案内板の前の石段を上がり登山道に出て、草花を見ながら砂礫を踏みしめて登り始めました。 宝永山火口への分岐の新六号目に着き、更に上を目指してひたすら歩きます。 この頃になると視障者とサポーターとのタイミングも良くなり快調に登って行きました。 足場は相変わらずのガレ場。登山道がジグザグになり慎重に登る。六合目小屋を過ぎると草花も減りオンダテの株が点在する ようになり、新七合目まで来れば“登った”という実感が湧いてきました。
 振返れば新五合目の登山道や道路が遥か下方に続いて見えます。
苦しくなるのはこれからで、岩稜帯の登りに変わり、やがて元祖七合目小屋に到着。 この小屋に宿泊する班は、第1日目はここで終了です。小屋を過ぎると、岩稜と瓦礫の道は変わらずで、 更に角度がきつくなり歩きにくくなってきました。真上に白い鳥居が見えてくると八合目の小屋。 私達はこの小屋まで登って宿泊です。寝るスペースを確保して、山麓の町の灯をゆったり眺めて、 名物のカレーの夕食を食べた後、明日の登頂に備えて早めに横になりました。
 2日目、小屋の朝は早く、朝の冷え込みの中で朝食の弁当を食べ、ストレッチをして、夜明け前に出発しました。 登山道の途中でご来光を迎える事になり、遠くの雲の上に出る一瞬の陽光が富士登山のハイライトです。 富士山の大斜面が赤く染まりました。
 そして、いよいよ苦しい登高の始まり。「スローリー」「スローリー」。でも呼吸が乱れる。 頂上直下で呼吸を整え、頑張って「登頂」。大感激でした。山頂には木の鳥居と奥宮があり、 元祖七合目宿泊班と合流して感激の「万歳」をする。そして、噴火口を一周するお鉢めぐりに出発。 剣が峰(3,776m)に立つと北・南・中央アルプス等の山々が望見でき、 また、久須志神社前は須走口と吉田口コースから登って来た登山者で大賑わいでした。
 富士宮口頂上の奥宮前に1班から10班の全員が集合して下山開始。この富士宮口は下山道が別になく、 登って来た道をそのまま下るので、すれ違いに気を付けて下りて行きました。振返った富士山の雄姿は素晴らしいものでした。 出発点の新五合目に全員元気に到着。
 六つ星山の会富士登山の成功セレモニーを行い、そして解散。バスにてJR三島駅に向かった。 出発前の不安と緊張も解け、憧れの富士山に登頂を果たし改めて幸せを感じました。


『Summer六つ星祭』in富士参加感想記      会友(晴眼)男性Dさん

 去る8月21日・22日に開催された『Summer六つ星祭』in富士に参加させていただきました。
 サポーターとしての登山は初めてでしたし、富士山に登るのも初めてだったので、出発前は、 少なからぬ不安があったのですが、晴眼者だけの登山とは、ひと味違う達成感のある、印象深い山行になりました。
 富士山自体も、高山病や落石に対する注意は必要ですが、道迷いの危険を伴わずに素晴らしい眺望が得られる、 いい山だという感想を抱きました。
 私は、4班に配属され、8合目からの登りと山頂からの下りをご一緒させていただきました。 下りの2区間では、先導役を務めました。  「背中の上下動に現れないもののみ説明する」というサポートの基本を事前に聞いていたのですが、 実際に先導してみると、説明が足りずに危険箇所の情報等がしっかり伝わらない事が懸念されました。 その結果、道の様子を休みなく話しつづけるという先導になってしまいました。 言葉が多すぎて、サポートされる方の登山の楽しみを減らしてしまったのではないだろうかと反省しています。 次回サポートをするときは、不要なことは言わずに要所を的確に伝えられるような案内を心掛けたいと思います。
 今回の山行では、視覚障害者のサポートということ以外にも通常の山行では得がたい経験をすることができました。  同じ班のサポーターの皆さんからは、 所属されている山岳会の活動の様子・キスリングザックが活躍していた頃の苦労・海外のトレッキング事情など、 興味深いお話をいろいろお聞ききし、見聞を広げさせていただきました。
 また、参加者約60名という規模の山行を企画できる六つ星山の会の運営の様子を見られたことも有意義な体験でした。  私が出会った場面の中では、たとえば、山頂での班編成変更時の人員把握の素早さ等に、 20年を超える歴史の中で培われてきたであろうチームワークが生み出す効率の良さを感じました。 それ以外の場面でも、折に触れて、団体として継続的に活動することの意義を肌で感じることができました。  このような経験は、山を離れた日常生活でも役に立つことと思います。
 最後になりましたが、登頂を果たした視覚障害者の皆様、連日打合せをされた担当の方々、 サポートの皆様、本当にお疲れ様でした。


初登山を終えて      会友(晴眼)女性Eさん

 一生に一度は山登りを・・・と思っていた願いが叶い、初登山で富士山に登りました。
 そう思っていた山登りですが、やっぱり辛くて何度もギブアップしたくなりました。 特に、6合目から7合目は本当に辛くて、何度も「こんな大変なのは私には無理だから下りる」言おうと思いました。  そんな私が何とか登頂が出来たのは、周り(六つ星や森羅のメンバー)の方々の助けと優しさがあったからです。 私の心を見透かしてか「今(6合目から7合目)が一番辛い時期かもしれない・・・」と、 私の前を先導して下さった方が言ってくれました。 「ここを過ぎたら、登れるかも!?」と黙々と歩きました。
 7合目からは8合目は、先導をして下さった方の言葉どおり楽になりました。楽になったら、歩いているのが楽しくなって、 周りの景色を楽しめるぐらいになりました。登るのが楽しかったのは、この7〜8号目の区間だけでした。 帰りは脚に力が入らないは、歩幅も狭くしか歩けないはで、自力で下りられないのではないかと思いましたが、 「ゆっくりで良いんだよ」「ベットボトル重くない?持ってあげようか?」という言葉に励まされて無事に5合目まで 戻る事が出来ました。
 今回、会社の先輩の所属している森羅の行事に便乗させて頂いて本当に良かったと思います。 私独りではとても登れなかったと思うからです。
 改めて、私達は、人々の助けや優しさという沢山の愛の中で生きているのだなと思いました。
 愛と感謝。。。

 六つ星といえば、ダビデの星としても有名ですが、六角形はバランスと調和を象徴しているといわれていますね・・・ 今後も、六つ星さんが、バランスと調和の中で、星の輝きのようにキラキラとしたご活躍をされることをお祈り申し上げます。


「六つ星の富士登山に参加して」    会員(晴眼)男性Fさん

 2日目、午前5時10分頃、薄明るくなってくる。私たち9班は、まだ、8合目から9合目を目指している時。 そして、それからいくらもしない内に、右側、雲の向こうよりオレンジ色に輝く、一日の始まりの陽が現れて・・・。
 山頂で落ち着いてそれを眺めれば、“御来光”を感じられたのだろうが、まだ登山中。 一瞬それに見入っただけで、リュックのひもを握るOさんの登り具合を背中に感じながら、 こちらも足元に注意を払って登り続ける。

 1日目の8月21日、午前9時20分、JR三島駅南口で、新宿駅集合組と東京駅集合組が落ち合い、 富士急行の大型貸切バスで、同51分に出発した。車内でこの山行のチーフ責任者であるGさんとサブのTさん、 Mさんより、挨拶及び、注意事項の説明がある。今回は六つ星のみでなく、いくつかの山岳会(森羅やおいらく)や 雑誌「岳人」を通じて応募された方、会員の友人知己などの協力を得ての山行となった由。
 途中一カ所(Grinpa=遊園地)でトイレ休憩を取って、正午少し前に5合目駐車場に着いた (その手前で20分近く駐車場の空きを待つ)。売店食堂脇には前日から来ていた六つ星の車もいる。 その後、登山口の小スペース(2400m)に移り、そこで各自の声出し・挨拶の後、参加者58名の班分けをして (私は8班となる)、昼食となった。
 午後1時10分、山行が始まる。夏休み中の土曜日ということもあってか、登山者が多い。下山して来た者、 これから登る者。5合目辺りは、いろんな種類の人たちで溢れかえっていた。ここまでは車で来られるので、 スカートの女性やサンダルのお兄さんも。必ずしも登山が目的でない人も大勢いる。
 同34分、6合目「雲海荘」前に至るが、荷を降ろすことなく通過。そして班長の指示に従って、 同54分から5分程休憩する。再び登り始めて、2時24分に新7合目「御来光山荘」に着き、ここでは15分程休憩する。 休憩後、ここからは、こちらが視障者のYさんをガイドして歩く。そのとき、リュックに付けたひもの短さを指摘されて、 ちょっと戸惑った。これまで幾人もの視障者と共に歩いたが、一度もなかったことである。 後ろに付く人には様々な個性の人がいると、改めて痛感させられた。 ひもの長さもその人に合わせて調整しないといけないのだ。
 新7合目から50分ほど歩いて、「元祖7合目」(3,010m)に。7、8、9、10の各班はここ泊まりである。 まだ3時45分だが、これら四つの班は今日の山行を終えた。5時半過ぎに夕食を摂り、 6時過ぎには皆、狭い寝処の中に入った。

 2日目は、夜中の2時過ぎに起床し、3時4分に歩き出す。同57分、8合目(3,250m)着。 ここでこちらは班長の指示で8班から9班に変わる。9班のガイドに男性が少ないということだったが、 こちらとしてもその方が動き易かったので、班換えを言われて、正直「ホッ」とする。 そして、ここからOさんのガイドをすることになる。9班は殿(しんがり)で、ゆっくりゆっくりの移動だった。 そのこともあってか、高度順化への対応も自然にでき、高度が上がっても苦しくなるということはなく、気分良く登れた。
 8合目を4時31分に出て、40分程歩いたところで、右手雲の向こうが薄明るくなってゆく・・・・・。
 9合目(3,460m)着、5時27分。9.5合目(3,590m)着、6時18分。山頂には、7時24分に着く。
もう他の班はすべて到着していて、お鉢巡りに出ていたり、剣が峰(3,776m)に登りに行っているようだった。 9時が下山の指定時刻なので、9班の山頂での時間は1時間ほどと、多くはなかったが、 とにかく全員が登頂できたことは嬉しく思われた。班長のMさんは視障者のSさんのガイドでひどく難渋されておられたが 、後方からサポートされたNさんと共にしっかりSさんを登頂まで導いておられた。 こちらにもOさんの後方にTさんが居てくださり、先を歩く者として大変助けられた。 やはり、視障者と共に歩く山行には、前と後ろに適切な配置が必要と改めて思い知らされた。 特に今回は、登りも下りも、他の登山者との交差が激しいコースであっただけにそのことを痛感させられた。
 最後に気づいた点を一つ。組のリーダーと班長との各状況における意見の違いは難しい問題だと改めて思い知らされた (船頭多くして・・・)。こちらは一班員としてそれを傍観する処にいたのだが・・・・・。


『Summer六つ星祭』2004in富士 “富士登山に参加して思う”
  会員(視障)男性Gさん


 富士は日本一の山と歌に読まれているようにどこから見ても美しい。 勿論、高さは日本一、きっと誰もが一度は登ってみたい山ではないでしょうか。 そんな富士山に今回六つ星山の会の総力を挙げて登山をすることになりました。 登山をするに当たり、サポートの不足が心配されましたが、おいらく、森羅、岳人掲載からの応募等の山岳会及び 山好きな方々の協力を得、大いに助かりました。
 さて、当日の天気は、心配していた台風も去って絶好の登山日和となりました。 新宿から電車バスを乗り継いで、私達は富士宮登山口に午後12時に着き、バスを降り、 外へ出るとTシャツでは、かなり寒い感じ。五合目でも2,500mもあるのだから気温も下がっているはずだ。 登山中の注意事項等は、リーダーから予めバスで受けていたのでここでは班割をして昼食を取り 午後1時に出発することになった。
 登山道は大部分が瓦礫と砂礫の道で、六合目ぐらいまでは傾斜も緩やかであったが、 段々傾斜がきつくなると汗も出るし喉も渇く。高山病にならないように水を飲みゆっくり、 ゆっくり足を運ぶことにし、途中振り返るとサポートの人が「海が見えるぞ。」と教えてくれた。 しかし、すぐに霧がまいて視界が聞かなくなり周りしか見えなくなったようである。
 八合目の山小屋には、予定通り5時前に到着できた。山小屋では午後6時に夕飯、 午後7時に就寝、身体は疲れているが早い就寝なのでなかなか眠れなかった。
 二日目は午前3時に起床、準備をして午前4時に山小屋を出発、また、登山道は瓦礫と砂礫の道である。 おまけに急斜面になってそれに高度が高くなると空気も薄くなり、一段とペースを落として歩くことになった。 八合目を出発するときは、まだ暗かったが九合目に着く頃から明るくなってきて太陽が顔を出してきた。 そこでご来光をバックに記念写真をパチ、パチ…!!!
 頂上の立派な鳥居をくぐって無事に山頂に到着。午前6時一寸過ぎ、 ここで七合目に留まった仲間を待って山頂往復とおはち巡りをする班に分けて行動することになった。 私は山頂往復で剣ヶ峰の日本最高点に立ったときは嬉しくて思わず万才が出てしまった。 山頂の天気は曇っており風が強く寒かった。多分気温は5°以下ではなかろうか。山頂では各、記念写真を撮ったり、 売店で土産を買ったり時間の許す範囲で憩いの一時を満喫している。
 下山は午前9時。登ってきた道を降りるわけである。同じ道を下山すると登ってきた道が改めて傾斜がきつかったのが 良く分かった。九合目当たりまで降りてきたら、「ゴロ、ゴロ、ゴロ」と雷鳴が聞こえてきて、 こんな所で雷が落ちたらヤバイことになるなって思った。ソンなこともあってか、下りは足取りが速く歩けた。
 ポツ、ポツと雨が降ってきたので、急いで雨具を付けたが大雨が降る前に五合目の出発点に戻ることが出来た。 本部に到着の連絡を済ませビールで乾杯。
 午後1時30分、……!!!
 今回富士登山に参加して、自分の足で日本最高点に立てたのは、私にとってもまた、 初めて富士に登山された方にとっても大きな自信と喜びをこの富士が与えてくれたのではないかと思います。 これも一重に山行担当者及び協力者のお陰だと思います。皆さん、有り難う。本当に感謝申し上げます。
 さて、今回富士登山で痛切に感じたことは、この富士山には一年間に30万人の登山者があるというそんな登山者に対し、 余りにもトイレ事情が悪いということです。私がトイレに行ったときには、何十人もの人が行列を作っていました。 私は15分ぐらい並んでいたのですが、下山の時間もあるので、あきらめて帰ってきましたが、 本当に困っている人は多いと思います。何とかもう少しトイレのかすを増やすことを考えて欲しいと思いました。
 それからもう一つは、登山中に出会った人たちの服装です。 およそ登山に不向きなカッコウで登ってくる人が結構いたようです。それから若者が正式なルートからはずれて、 わざわざ危険な場所を登っているのも見られたようです。山にはそれなりのカッコウをして、 安全で楽しく登れるような配慮が欲しいものです。

 感激の 六つ星山行 富士の山
 富士山の 山頂に立ち 超気持ち
 雷鳴に 不安のよぎる 富士登山


御前山と富士山に参加して    会員(晴眼)男性Hさん

 “視障者の登山”については、雑誌「岳人」に掲載された「六つ星山の会」の活動報告と数人の岳人の本格的指導を受けて ヨーロッパ・アルプスを登った「ある女性盲目歌手」の記事を読んだことがあります。
 御前山は生憎の天気で登山は中止になりましたが、平地で視障者と歩行練習をしました。 まず、私の右腕を視障者が掴み普通に歩き始めましたが、段差の所はその高さを指示するだけで大体は対応できました。 初めての経験で@段差の終了を告げないと視障者は緊張が解けない、A晴眼者がどのような人かを会話の中で感じてもらう、 B周りの説明を行い、風、香り、音から自然を感じてもらう、この三つが大切であることを感じました。  さて、富士登山ですが、富士宮口登山道は初めてなので、まず事前に登頂して下見を行いました。
 そして、本番。登りでは、視障者の後ろの位置で足元の段差状況を説明する役目が多かった。
登りの段差の高さ(数値)、段差が岩か階段か、自然のステップで足が置けるか等について説明した。 視障者からは了解の返事が返る。リズミカルな対応で登っていく。今回参加した視障者は登山に慣れた人だと思う。 足の動きがとてもスムーズである。腰が引ける様子が全然ない。初日は順調に元祖七合目小屋に着いた。 翌日4時、夜景がまだキラキラ輝いている時に小屋を出る。風が多少あって寒い。防寒着を着て出発。 ヘッドランプで視障者の足元を照らし、段差の説明をしていく。鳥居が見えてきた。頂上が近くになってきたことを説明する。 胸突き八丁にさしかかってきたが、ペースが落ちることなく頂上に着いた。
 下りは九合目〜八合目の間を視障者の前に立って、初めてサポートをした。 ゆっくりしたペースで足元の段差を説明しながら歩いた。 しかし、自分で相手の足元を首を曲げて見るので、自分の体が真直ぐでないのに気がついた。 なるべく真直ぐになろうとしているのだが。視障者には伝わる情報にズレが生じるのだろうか。 他の人は身体を真直ぐにして前方を見ながら平気な感じで歩いている。経験の違いを感じた。足元は細かい石でズレ易い下山道。 1区間のサポートを何のトラブルもなく完了することができたが、気疲れを感じた。
 今回の登山成功は、@天候が暑くも寒くもなく快適だったこと、A視障者の人数に対して晴眼者の人数に余裕感があったこと、 B視障者の登山経験が豊富であること、C運営の準備がよかったことが上げられると思います。 今回の経験を踏まえて、これからも視障者への登山のサポートを深めていきたいと思います。



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